2019年3月20日水曜日

23日目:要素は拾いよりも捨てること(取捨選択)の方が大事

今日はどちらかというと私の個人的な哲学っぽい?話です。
くだらない話かも知れませんが個人のブログなので許して(懇願)

要素は拾う事も大事だが、「捨てる事も大事」という哲学の話。

村人に多い傾向ですが、色んな情報が手に入り
考える事が楽しい時」というのは、逆に気を付ける事を考えてます。

①考えるのが楽しい時の注意点。
想像力が働き過ぎてないか?
何かを想像して物事を考える時というのは、楽しい事が多いです。
次から次へと考えが浮かびますから。

このような考察を書くのは、「想像がしやすい村側の発想」であり
村要素の1つですが、「推理を当てる」に焦点を当てた時には、あまり好ましい状態でないと考えてます。あることないこと考えてしまい間違える要因に繋がります。

しかし、この状態は「必要」とも考えてます。以下に続く

②考えすぎてる時の対処方法
色んなアイデアが浮かんでる時は、独り言でもメモでも構わないので
書いていく事が重要(出力:アウトプット)」そして「大事な情報を取捨選択(出力:アウトプット)して、拾った要素を捨てる(重要)」ことが大切と考えます。

「要素を拾う」は入力:インプットなので、何が重要な要素か?の判断力は磨かれません。書いて行く中で、重要ではない要素を捨てる。何が重要か?を取捨選択し判断する力を磨く事で、どんな要素が重要か?を養う経験を得られます。

捨てる発想がないと「自分の中で何が重要なのか?」を理解出来ません。
ただ拾った要素を書き写すだけになってしまいます。そして、ずっと拾う(入力)事に意識を向け続けるので、悩みやすく、要素拾いのクオリティと時間が失われて行きます。

③悪いロックを防止する
「拾い」を重視すると、時間をかけて一生懸命拾った要素を
手放せなくなります」これが悪いロックの原因となります。

村を狼と思い込んで吊るだけなら1ミスで済みますが、
狼を村と思い込んでしまって吊り逃したら致命傷です。

でも、だから要素は拾わない。自分が得意なのだけ喋る。
これだと成長に繋がらないし、喋ることが減ってしまいます。

だから「要素拾い」そのものは続けて、成功と失敗を繰り返して行くしかないと思います。

④拾い集めた要素を収束(まとめ)させる
「要素拾い」はやはり大切。
その代わり、拾ったアイデアや考察。情報を「取捨選択しまとめあげる力」
考えをまとめ、考察を削って大事な部分だけを出力(アウトプット)する。
「要素を削る(捨てる)」を拾う事以上に大事にします。

×「無駄な事をしない」
○「無駄な部分を削っていく(省く)

よく前者の方が、良いとされますが、私は後者を重視します。
後から修正する意識」を持つ事です。熱い掌返しは、しても良い。と思ってます

後から修正する意識があるからこそ、拾える要素も多いです。
後から修正するので、気楽に要素を拾えるからです。
また悩み過ぎない事が視野の広さにも繋がります。それが結果として気付きに繋がり
拾える事に繋がります。

またトライアルアンドエラーで試行錯誤を繰り返す事で
拾う能力も養われます。何が大事な要素かも理解を深められます。

⑤まとめ
私は深い読み込み(インプット)や要素拾い(インプット)を重視しません。
誤ロックに繋がり、深く読み込む人ほど、手放せなくなります。
議事読みが苦手な人も、要素を拾う事を重視して、捨てる発想がないのかも知れません。

重視するのは、軽く要素を拾う事(誤ロックの防止)
要素の重要度の取捨選択(アウトプット)要素を削って簡潔に書く事(アウトプットと伝わりやすさ説得力)後から修正する意識(軽く要素を拾えるので、視野が広がる、色々な情報の収集し、読み込み能力の上昇)

そして捨てて情報をすっきりさせる事で、出力の強化と
思考を研ぎ澄ませる事により、よりクリアになり視界が広がるので
また要素を拾う余力が生まれるので拾いに行く。「情報の更新」と「試行錯誤」を意識して狼を吊りきるまで繰り返す。(量を熟す事での経験値と成長)

⑥余談
よく視野が浅いと言われますが、
「浅い⇔深い」「狭い⇔広い」は別の領域の話だと考えてます。
前者を大事にしてる人が多いとは思われますが、深いからの広いの両立は難しいと考えてます。私個人は「視野は広くみる事」を重視してます。
軽く浅く拾う事で、思考もクリアにし悩み過ぎないこと、また時間を余らせるので、色んな余地が生まれます。深く見て悩んだ時間は取り戻せませんし余地もありません。

失った時間は取り戻せない。
余った時間は何かに使う事ができる。

広く見る事を意識した結果。視野が深くなることはあると思います。
時間も余るし、思考もクリアなので、色んな余地が結果として広く深く見れる
高い精度を誇る視野を得る事に繋がるのでは?と考えてます。

余という漢字は個人的に好きです。

⑦最後に
要素は拾うことも大事だが
「それ以上にまとめる事。無駄な要素を捨てて省く、大事な部分をまとめる力」の方が
より大事である。


という哲学でした。
昨日のツイッターで話した事をまとめただけですがね()
今回は人狼の話に限らず、仕事や色んな行動に繋がる人生哲学?みたいな話ですいません。
人狼以外でも、無駄な事をしないより、
無駄な事を沢山して行く中で無駄を省いて
より洗練して行く動きは大事な事かな?と思いました。


1 件のコメント:

  1. 実際のところ、全く捨てない村方playerというのは見たことがありません。
    ただ、何を捨てるかは割と難しいところかなとは。

    拾い方の精度はまあまず100%にはならないのと同様、
    捨て方の精度もまたなかなか100%にはなりますまい。
    たとえば占い師や霊能者の判定という拾い間違いの証拠を突き付けられた時に、
    手持ちの材料の中から残す材料捨てる材料を選択することになるわけですが、
    何を信頼するかというところにも拾い方と同様にその人の人狼観が現れます。
    そこでそれまでと同じ価値観を元に取捨選択すると、なかなか適切な材料を残せないような気はします。

    私見としては、そこでちょっとずらして考えると言いますか、
    別の想定を元にそれまでに拾った材料に別の解釈を与える余地がないかどうか、
    再検討することが有益ではないかと思いますね。

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77日目:白取り推理はあまりしない。

 あえて使わない用語の続きにしても良かったのですが、白取り考察自体は普通にするので、あまりしないという題にしました。 ■1.前提として ■2.白取り考察の危うさ ■3.影響力の考察 ■4.ゲイン・ロス効果からの観点  ■5.黒取り考察しても必ずしも吊られる訳ではない  ■6.確証...