2020年4月1日水曜日

42日目:嘘に苦手意識を持つ人

今回はエイプリルフールですので、嘘に因んだ話をさせて頂こうと思います。
考察より、メンタルの話だったり哲学めいた話なので

そもそも嘘が苦手じゃないよって人には無関係の話だと思いますが
(あまり役に立つ話にはならないと思う)
折角のエイプリルフールなのでね。

■1.まえがき
先の日記でも観戦した村で、まず一番最初に【狼は楽しいものだ】と
言ってたのが、とても感銘を受けました。
人狼ゲームで狼に苦手意識を持ってしまう人は多いです。自分が疑われたり
嘘に罪悪感」を感じてしまったり。嘘が苦手だから、人狼は苦手だ。と思ってしまいます。

しかし、人狼ゲームの醍醐味は、嘘を吐く狼が居て
その狼が居るからこそ成り立つ推理ゲームである。
より村人が、狼が楽しいゲームにするためにも、狼は楽しい

【狼はエンターテイナー】楽しいゲームにするために
狼の苦手意識をまず最初に解こうとした所が、感銘を受ける点でした。

■2.何故?嘘に苦手意識を持つのか?
物事の本当の色は「無色透明」である。

これらの言葉は、言葉のイメージや価値観によって色が付くことで
「フィルター」がかかり、苦手な色は無意識に拒否反応を起こしてしまう。

言葉には、同じ意味でも感じ方が違うことがある。高齢者→シニアのように
同じ意味でも感じ方を変えることで言葉のイメージが変わる。

「価値観」が「悪い偏見」となった時、苦手意識として反応してしまいやすい。

■3.嘘に持ちやすい「イメージ」と「色」
嘘吐きは泥棒の始まり ということわざは多くの人が知ってるし
子供の頃からは、「嘘はいけない物」として教えられ
嘘吐きと言えば、詐欺師だったり、悪い人のイメージは拭えない。

仮に色を付けるとしたら黒であり
「無色透明」から「嘘はいけないという価値観」によって「黒くなった」から
嘘は苦手だという意識を持つようになった。

価値観によって人は裁く。嘘はいけませんと怒ったりするのは
本来は無色透明の物事を黒く塗り固められたからである。
それが常識となって偏見となる。

世の中には黒を自覚しながら、開き直って狼をやってる人もいると思うが
苦手意識を克服するには、広い視野を持つ事で改善できる場合がある。
常識と偏見は広い視野で変える事ができる。

■4.価値観と偏見は広い視野を持つ事で苦手意識を克服できる。
広い視野で嘘を定義したらどうなるんだろう?
「嘘は人を悲しませるもの」「嘘は泥棒や詐欺師がやること」という定義なら
苦手な意識を持つのは、理解できる。

そこで嘘の定義を、もっと広い意味で再定義してみる。
役者はどうだろう?他人の人物を演じる事は嘘にはならないだろうか?
実際に起こったことのない、フィクション作品はどうだろうか?

これらの漫画、映画、ドラマなど様々の作品に感動した事はないだろうか?
相手を悲しませない、優しい嘘だっていっぱいある。

広い視野を持てば、嘘も人を幸せにする力もあるという事がわかった。
勿論、だからといって悪いイメージを否定する訳でもないし、物事は無色透明であって
使い方や、人それぞれの価値観によってどんな色にも変化し得るという事。

狭い視野:嘘=詐欺師=泥棒
広い視野:嘘=役者=物語
(無色透明のフラットな見方をすれば広い視野でも詐欺師や泥棒は含まれる)

■5.嘘も本来は無色透明の存在であったけど、楽しいものに変えられる。
狼陣営で勝利を目指して、村人をRPして演じて
村人を騙して勝利する事は悪い事?黒い事?

(嘘という表現が苦手なら、村人を騙る。村人を演じるという表現で良いのだ。同じ意味でも言葉を変える事で色は変わる)

そんな事はない筈だ、これは楽しいゲームだ。
楽しいゲームや物語には嘘はつきものです。

もっとも私は悪い事ですら、定義を変えれば
決してそれは、嫌な物じゃないと思う。
悪役こそ物語の華だと思う。
巨大な悪役が存在するからこそ、正義のヒーローは現れて、物語が生まれる。

「――――喜べ少年。君の願いは、ようやく叶う」
「判っていた筈だ。明確な悪がいなければ君の望みは叶わない。たとえそれが君にとって容認しえぬモノであろうと、正義の味方には倒すべき悪が必要だ」

とある作品の正義の味方を目指す少年への言葉である。
(有名な作品なので知ってる人が多いと思いますが)

推理するのが楽しい。村人が楽しい。という人が存在する限り
巨大や悪役、つまり倒したくて吊りたい狼は必要になるだろう
そんな願いを叶える為に悪役であることは、そんなに嫌な物ではない
より楽しいゲームにする為に、より感動を与える物語にするために必要なのだ

その人物に成りきって、私達は演じてるだけなのだ。
だから狼はエンターテイナーで楽しい物だ。狼がいるから人狼ゲームは面白い。

■6.あらゆる苦手意識に対して
苦手意識を持つ行動に対して
視野を広げることで、物事の価値観や常識や偏見の定義を再定義することで
変えて行く事が出来る。

例えば、人が関わるのが苦手だとして
虐めや暴力が原因だとすれば、暴力は悪い事は理解はする。理解はするけれど
人と関わる事=暴力に遭う という事ではない。(もちろん暴力も例の1つですが)
そうじゃない人はいくらでもいる事を知れば
暴力は苦手で良いし、それは当たり前の価値観だと思うけど
人と関わる事まで苦手意識を持つ必要はない。

人と関わる=趣味や知識が広がる=楽しい事を共有できる仲間
とも定義する事ができるからだ

■7.さいごに
視野を広く、物事をフラットに見れば、世界の色はきっと無色透明な色をしている。
それに色を塗る事で、価値観や常識や偏見となり、自分の意識が変わっていく

そして忘れては行けないのは、色を塗るのは自分だと言う事
これから物事に対してどんな色を付けても良い。

ただもし嘘に苦手意識を持ち、人狼役職が苦手だというのならば
願う事なら、今とは違う色を塗ってみて欲しい。(無色透明でも良いけどね)
視野は広く持てば偏見になどに囚われないよ。

あなたはどんな色をしていますか?

2020/04/01 
エイプリルフールだから、たまにはこういうテーマも良いよね

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